こびとのブログ ランニング・音楽・本

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ランニングと座禅 無の境地へ

再び座禅

走っていて思いました。走ることは座禅に似てる?

数年前、かっこつけて哲学をかじったことがありました。その時に、縁あって座禅に出会いました。一時、自分の中で小さな座禅ブームがありましたが、最近は、座禅から遠ざかっていました。先日、枡野俊明著『禅 シンプル生活のすすめ』を読んだことから、再び、気が向いたら座禅を組むようになりました。たとえば、頭を空っぽにしたい時とか。今度はいつまで続くことやら(笑)まあ、気楽にやります。そういえば、スティーブ・ジョブズは、禅について造形が深かったと言われていますね。

禅、シンプル生活のすすめ (知的生きかた文庫)

禅、シンプル生活のすすめ (知的生きかた文庫)

 

「無」の境地

凡人の私には、禅の悟りの境地には到底たどり着くことはできません。その境地とは、すなわち「無」。座禅を組んでいる時というのは、何も考えてはいけません。何も考えないようにしようと意識するのもいけません。実際、「何も考えない」というのはとても難しいことです。

ランニングで到達するのは無の境地?

ある日、ランニングをしていて気がつきました。頭の中が真っ白な状態で走っている自分に。ただ走っているだけなんです。なぜ、走っているのかわかりません。どこへ行くのかも考えていません。別に苦しくてそうなったわけではありません。高揚した感じがないので、ランナーズ・ハイではないと思います。言うならば、ランナーズ無(む)でしょうかね。静かなんです。とても静か。心臓の鼓動も聞こえません。手足が自分の意思とは関係なく動き、道を勝手に進んでいるんです。こういうことってありませんか?

走る座禅というのがあるのでは?

経行(きょうぎょう)といって、歩いて行う座禅があります。なので、ひょっとしたら走って行う座禅もあるのかもしれませんね。また、ウルトラマラソンをやると不思議な境地にたどり着けるというようなことを何かで読んだこともあります。ウルトラマラソンか、、、ハーフマラソンくらいでたどり着けないでしょうかね?その不思議な境地へ。